前回の記事で国立デザインミュージアムを2025大阪・関西万博跡地につくると良い理由について書きました。
国立デザインミュージアムについてはすでに色々と検討されています。
2012年にデザイナーの三宅一生さんと美術史家の青柳正規が中心となって声を上げたことが国立デザインミュージアムをつくる機運の始まりとなりました。
現在も一般社団法人Design-DESIGN MUSEUMが中心となり各地で国立デザインミュージアムをつくるための活動を続けています。
ぜひこれからもこの運動が続くことで機運が高まり国立デザインミュージアムが実現される日が来ることを願うばかりです。
本日は万博後にデザインミュージアムを過去に作ったことがあるロンドンの事例について紹介したいと思います。
なぜロンドンで万博後にデザインミュージアムが作られたのか、また、つくられたデザインミュージアムはどのような役割を果たしているのかをご紹介できればと思います。
自国のデザインがダサかったことがきっかけだった
先の記事にて紹介したAdobeとのパートナーシップを実践しているヴィクトリア&アルバート博物館は実は1851年に開催されたロンドンの万国博覧会がきっかけとなって作られました。
そもそも1851年に開催されたロンドン万博はデザインと製造に関する世界初の国際展示会でした。
蒸気機関の発明等によって産業革命が起きた英国では自国の製造技術を世界に発信できる素晴らしい機会になったものの、その万国博覧会にて英国が得たことは別にありました。
それが、他国との間のデザインにおける差です。
確かに産業革命によって英国はこれまで大量生産が困難であった製品をコストをかけずに多く作る技術を発明しました。この点においては英国が他国と比べて工業製品としての優位性を持つことができたのは確かでした。
しかし、この万博での他国の製品は決して大量生産ができなかったとしてもイギリスの製品よりもデザイン性が高いものが多かったとされています。
現代社会でもそうなのですが、人は最低限の用途を満たすだけであればより安価な製品を求めるかと思います。
しかし、同じ製品でもよりデザイン性の高い製品の方が高く価格が設定されることがあります。
したがって、デザイン性の高さは製品の価値を高めていく上で必要不可欠なものであると考えられます。
主催者の一人でもあったアルバート王子は、このようなデザインの重要性を万博を通じて感じ国際市場で競争するために英国産業の水準を維持し、向上させる必要があると認識しました。
この目的のために、彼は万国博覧会で得た利益を、芸術と科学の教育に特化したサウスケンジントンの美術館と大学からなる文化地区の開発に活用するよう主張しました。
ヴィクトリア&アルバート博物館はその最初の施設でした。
このようにヴィクトリア&アルバート博物館は、英国のデザイナー、製造業者、一般の人々にアートとデザインを教育するという使命を持って設立されたのでした。
初めての展示は「恐怖の部屋」と呼ばれるものだった
このように英国のデザイン力を高めるために構想されたヴィクトリア&アルバート博物館ですが、設立には一人の若い公務員が貢献しています。
彼の名はヘンリー・コールです。
彼はパリの万国博覧会に訪れたことにより自国の産業の発展に博覧会の開催が効果的であることを実感し、アルバート王子に万国博覧会の重要性を説明した人物でもありました。
そして、英国での万国博覧会自体は興行としても成功に終わり、財務省補助金 5,000 ポンドを使用して、新しいデザイン博物館の中核を形成するために厳選された品物が購入され、ヴィクトリア&アルバート博物館は1852 年に開館しました。
そして、この中心にいたのもヘンリー・コールでした。
では、彼が最初に手がけた展覧会とはどのような展覧会だったのでしょうか。
館長としてヘンリー・コールは、博物館は「すべての人のための学校」であるべきだと宣言しました。
したがって、博物館の設立原則は、優れたデザインに関するすべての事柄を一般の人々に指導することでした。
同時に、コールは「正しい」デザインとセンスの良さを実証するには、そのアンチテーゼと見るべきものすべてを提示することよりも良い方法があるだろうと感じていました。
彼は、「我が国の製造品のデザインの改善」を求める国民の需要を生み出すことを期待する優れた家具、陶器、織物、ガラス、金属加工品の展示に加えて、デザインの良くない製品を扱うギャラリーも展示しました。
それが、マスコミによって「恐怖の部屋」と呼ばれた展示室でした。
この「悪い」デザインの展示は、策定され宣伝されていたデザインの基準を満たさない、「全く弁護できない」と考えられていたさまざまな日常装飾品で博物館の訪問者を刺激しました。
作品の選定はコールと彼の仲間の改革的意識を持ったデザイナーによって行われました。
葉や花の自然主義的なイメージを備えた布地や壁紙は、過剰な装飾を備えた過度に精巧なオブジェクトや、素材や装飾の選択が非合理的であると思われるオブジェクトと同様に、特に眉をひそめられました。
これらの展示品の欠点はギャラリーのラベルに詳しく記載され、成功し、正しいと判断された比較対象物と並べて展示されました。
展覧会に選ばれたすべての品物は、そのデザインがどれほど無原則であったとしても、少なくとも商業的には非常に成功しました。
しかし、期待とは裏腹に展示を見たほうは単にその選択を面白がっただけで、デザイン力を高めていくことに改心することはありませんでした。
また、製品が批判されたメーカーは悔しくなり、すぐに苦情を申し立てました。その結果、展覧会はわずか2週間で閉幕しました。
ただ、このような取り組みを実践したヴィクトリア&アルバート博物館は現在も継続してミュージアムとしてデザイン教育する役割を果たしています。
コールが考えた恐怖の部屋は現在では批判が殺到して絶対に実現できない取り組みだろうと思います。
ただ、それだけ過激なことをするということは英国のデザインの将来をなんとかしたいという思いが強かったんだと感じています。
この記事は次のヴィクトリア&アルバート博物館の公式HPを参考に書いています。
まとめ
このように万国博覧会は自国の現在地を確認するためにも重要なイベントになると思います。
自国の良さを対外的に発信するだけでなく、他国の良さを実感してもっと素晴らしいものを作っていこうと思う機運を高めることもできるのではないでしょうか。
2025大阪・関西万博を通じて日本のデザイン力も他国の素晴らしいデザインを感じ、より良いものになっていくことができるといいのかなと思います。
また、そのレガシーとして国立デザインミュージアムができれば記憶を通じて未来に素晴らしいデザインとイマイチなデザインが何が違うのかを残していけるかと思います。
現代社会においては悪いデザインを定義することは難しいとは思いますが、失敗から学ぶことの重要性を感じさせてくれたヴィクトリア&アルバート博物館の取り組みだったと思います。
引き続き2025大阪・関西万博跡地に国立デザインミュージアムをつくりたいという機運が高まるような記事を書いていきたいと思います。
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